めびうすのわ

読書日記という名の思考整理ブログ

夢幻花

※ネタバレをしています、未読の方はご注意下さい⚠️

 

『夢幻花』東野圭吾

(PHP文芸文庫、2016年)(2016/12/14読了)

 

両親が東野圭吾好きで、中学生の頃に本棚にあるやつを片っ端から読んでいたのですが、最近はたまにしか読まなくなりました。今回は『ナミヤ雑貨店の奇蹟』以来の東野圭吾でした。

 

 

『夢幻花』のなかでキーなるのは''黄色いアサガオ''です。

黄色いアサガオはこの世に存在しない、というのを私は初めて知ったのですが、これは割と広く知られた事実なのでしょうか?

この世に存在しない、くらいだと「あぁ青いバラみたいなものか」という感想なのですが、青いバラと黄色いアサガオはどうやら意味的に全然別物らしい。

なんでも、青いバラはそもそも元からこの世に存在していないが、黄色いアサガオはかつて確実に存在したのに、何らかの理由で絶滅したらしい。そしてその理由は不明である…。

さらに、(ネタバレします)

一部のアサガオのタネには薬物のような幻覚作用があるという……。

 

 

いやはや、こんな事実、この本を読まなければ一生知らずに死んでいたと思います。そもそも、変化アサガオなんて知らなかったです。少しインターネットで検索してみましたが、こんなアサガオがあるんですね。素直にとても美しいと思いました。

 

ミステリー小説の良さってここなんですよね、個人的に。

ただ普通に生きてるだけでは知り得なかっただろうことに不意に出会える。これが楽しくてしょうがないです。どんなに面白そうなことでも、それが面白そうだと気付けるきっかけがなければ、一生それを知らずに人生を終えてしまいます。

少しでも多くのきっかけをくれるミステリー小説が、私は大好きです。

 

やたら褒めてしまいました。

 

話を戻しますが、この本のなかではいくつかの事件(謎)が起きます。

  1. 夫婦とその子供が日本刀をもった何者かに襲われる(プロローグ)
  2. 梨乃の従兄弟・尚人が突然自殺する
  3. 梨乃の祖父・秋山周知が殺される

「死」にまつわるもの以外だと

  1. なぜ秋山周知は黄色いアサガオを咲かせられたのか
  2. 蒼太の兄・要介の行動の謎
  3. 周知の家から黄色いアサガオが盗まれていること
  4. 孝美が忽然と姿を消したこと

 

ざっとこんな感じでしょうか。

読んでいる間、秋山周知を殺したのは誰か、なんてこと全然考えてませんでしたね…。全ての謎は黄色いアサガオが握っている、という感じでした。

読ませる小説ってこういうものですね。久々に一気読みしてしまいました。

 

本筋以外のストーリーも、なかなか考えさせられるものがありました。

バンド活動をしていた死んだ尚人とその親友雅哉は、黄色いアサガオのタネを摂取して曲を作ることで天才気分を浸っていた、という何ともありそうな話です。

実際に、著名なアーティストが薬物依存で話題になったりしてますよね。

でも、薬物の力を借りていたとしても、それで人々を感動させるような曲を作れるならそれでいいんじゃないか。いやいや、その人の才能だと信じてファンになったのに薬物のおかげだと知ったらショックに決まっている。

…なんて複雑な気持ちになります。

まぁそもそも、良い曲を書けなくなると思ったら怖くて薬物依存がとまらない、なんて状態は良くないに決まっているので良くない話ではあるんですけれど。

素の自分で勝負できるのが、一番に決まっています。

 

そことも少し関連するのですが、最後の方で才能に関する会話があります。

「尚人がよくいってたんだ。梨乃は馬鹿だって。せっかく才能があるのに、それを無駄にしている。梨乃は水泳選手として生きていかなきゃいけない。才能を与えられた者の義務だ。それを重荷に思っているとした贅沢だ。何の義務も与えられていないことがどれほど虚しいか、梨乃はわかっていない――」

これは、オリンピックを目指せるほど水泳の才能があったにも関わらず挫折してしまった梨乃に対して、尚人が生前に言っていたセリフです。(それを雅哉が伝えている場面です)

 

''才能を与えられた者の義務'' 

これは極端なのかも知れないけれど、なるほどなぁ…という感じです。

「天才は1%の才能と99%の努力」なんて言葉がありますよね。才能が皆無の私から言わせてもらうと、その1%の才能があるかないかで本当に違う。全然違うんです。

そもそも才能どころか努力もできない私がそんなこと言う資格は全くないし、努力家の天才には怒られてしまうかもしれないけれど、本当にそう思います。才能があるかないかの違い。

加えて、尚人も言っているけれど、そんな天才が近くにいるかどうかもかなり大きいです。「ただ好きだから、楽しいから」という理由だけで初めたことも、近くに天才がいると「これは自分がやる必要があるのか?」というような気持ちになってしまうような気がします。自分でも、書いてて言い訳してるようにしか見えませんけどね。

まぁ何が言いたいかというと、才能を持ち合わせた天才さんには、せいぜいその才能に気付いて感謝してその道を極めてほしいです。

何様なんですかね私は。 

「努力し続けられること」もある意味才能だと思っているので、才能もあって努力もできる人なんて、私からみれば神のような存在です。頭があがりません。

 

 

そういうわけで、やっぱり大御所は違うな、と思う一冊でした。文句なしで面白かったです。

加賀恭一郎シリーズを読もうかなぁなんて思っています。