めびうすのわ

読書日記という名の思考整理ブログ

死神の浮力

『死神の浮力』伊坂幸太郎

(文春文庫、2016年)(2017/08/05読了)

 

※※ネタバレ有り※※

 

3日坊主どころか2回しか更新せず、おまけに存在すら忘れていたこのブログ……。

 

 

『死神の浮力』の前作である『死神の精度』は読了済みです。

前作が短編集だったので今回もそうかと思いきや長編でした。しかもかなり長い。

 

サイコパス・本城に娘を殺され、復讐を試みるも散々に、かなり散々にやられる夫婦のお話。筋書きとしては重いし暗い。

しかしそんな暗さを感じさせず、沈んだ心をかろうじて水面に浮上させてくれるのが死神・千葉。このシリーズの良さはなんといっても千葉さんなんだけれど、まぁそれは読めばわかるので置いときます。

 

個人的に、サイコパスにすごく興味があります。欧米では25人に1人、日本でも100人に1人いるとかいないとか。良心がない、共感できない、という特徴があるそうです。

本城はサイコパスという設定なんですが、それにしては少し人間っぽいかな?という印象。サイコパスと密に関わったことがないので知らないけれど。

サイコパスは身近に溢れていると言うし、特に地位が高い人に多いらしいんですが、やっぱりこうして小説で描かれたり実際に事件になるのは狂気的な人ですよね。

これ、先入観の元ですよね。サイコパスが皆、殺人や重犯罪を犯すわけでないんですよね、多分。

それでも重大な事件を引き起こす可能性は高い。そこで思ったんですけど、医療技術が発達して人が生まれてすぐ検査でその人がサイコパスかどうかわかるようになったとしたら、人類は一体その人をどうするんだろう。

現時点ではサイコパスになる原因は、遺伝だとか脳の障害だとか言われているみたいで、先天的なものなら早期発見(?)されてもおかしくない。

サイコパスは病気なのか性格なのか性質なのか。病気なら「治る」し、性格なら「補正される」し、性質なら「どうしようもない」かな。どうしようもないなら……監視下におくか、静かに何もなかったことにするか。

この本を読み始めてからずっとこんなことをぐるぐる考えていて、そしたらサイコパスと話をしてみたくなってきたんですよね。百聞は一見に如かず。サイコパスってどんな人なんだろうな。

 

 

主人公の山野辺遼の父は''その日を摘んで''生きている人でした。その日を摘む、というの「どうせ人は死ぬんだから今この瞬間を楽しんで生きる」というような意味らしい。そのあたりのエピソードを読んだ次の日、もうそれはそれは物凄く仕事にやる気がでませんでした……。一体私は何が楽しくてこんなことをしているんだ、というような、、

また、「人間は、動物の中で唯一、死を知る存在である」というセリフがあるのですが(厳密にはパスカルの言葉、らしい)、将来を予測しながら生きているという点では本当に人間はかしこくて、馬鹿だなぁ……と。私は死を他人事のように感じているからこそ、その日を摘んで生きてはない気がします。明日死ぬかもしれないから毎日楽しく生きよう!なーんて意気込むより、明日急に死ぬわけもないし今日もてきとーに生きてよ、くらいの方が私は気楽です。これは性格ですね。補正する気もないので来週も働くわけです。。

というかさっきのセリフ、読んだときはなるほど!と納得したのですが、本能レベルでは動物の方が自分の死を知っているような気がします。人間みたいに自分を買い被っていないから、人間より死を避けるのが上手い。死を避けて生きている。

人間は寿命でもないのに本当に呆気なく死にすぎる。

 

 

なんてことをぼんやり考えながら読み終えました。最後のページの「晩年も悪くなかった」という千葉さんのセリフ。必死に生きている人って人間らしくて良いですよね。

私が後先も考えず必死に生き始めたら……寿命かもしれない。